ようこそ管理人室へ
この部屋は会長@管理人のお話を楽しんでください。
楽しい話、思い出話、日記などなど(^^)
メニューがありますのでクリックして選んでください。


管理人へメール
申し訳ありませが、迷惑メール対策のため
画像でアドレスを表示していますので、
メールアドレスはタイプしてメール送信してください。
yahoooメールとマイクロソフトのhotmailは受信できません。



タイガースと鉄のコラボ・ブログです



「思い出のおもちゃ箱」

「KENKENのじっぷ探偵団」


トップページへ


「思い出のおもちゃ箱」

第1話 タイガースファンは嫌いだった

第2話 思い出のサンドイッチ

第3話 嗚呼懐かしの「東京コロッケ」

第1話 −タイガースファンは嫌いだった−

我が家は父がタイガースファン、もう、虎キチでした。
小さい頃は、一家総出で応援していたというわけではありません。
逆に、虎キチだった父に反感を持っていました。
タイガースが負けると、家族全員に当たり散らすんです。
酒癖が悪く、酔っては母親に暴力を振るう。
仕事もおろそかで、ドラマに出てくるような、ろくな親父ではありませんでした。
俺が中2の時に両親が離婚。
妹、弟の面倒を見るようになって、益々父とのコミュニケーションは遠ざかるばかり。
父を憎むのと同じように、タイガースも嫌っていました。
試合に負けると、こちらにトバッチリが来るからです。
「坊主憎くけりゃ、袈裟まで憎い」とはよく言ったもんです。
そんな中、俺はタイガースには興味が無くなり、ブランクが始まったんです。
それでも、「血は水より濃い」と言うんですかねぇ。
試合結果は、結構気になっていました。

昭和60年の優勝の時は、珍しくテレビを見ていました。
あの時は、朝日放送で特番を放送していましたねぇ。
大阪のタイガースファンの芸人さんが、たくさん集まって、
みんなが大騒ぎしている中で、ひとり、お亡くなりになりましたが、桂 春蝶さんが、
細い体で酒を飲みながら、じっくりと優勝の美酒を味わっていました。
なんか、その映像が残っていましてねぇ。
そんな姿にこっちまで胸が熱くなったのを憶えています。

話が、ちょっとそれましたが、そんな父も平成9年3月31日に他界しました。
脳梗塞で1年間入院していたんです。
わがままを通してきた人の最期は、悲惨でした。
苦しんで、苦しんで亡くなったんです。
そんな憎んで憎んだ父でしたが、時の流れと共に、許すことが出来るもんなんですね。
それと同時に、自分で封印していたタイガースファンが復活したのは、
平成11年、3回忌を迎えようとした寒さの厳しい頃です。
「呪縛」が解けたとでもいうんでしょうか。
今まで以上にタイガースのことが好きになったんです。
これも、リバウンドでしょうか。
それとも、親孝行を十分出来なかったと言う思いが、そうさせるんでしょうかねぇ。
今振り返ると、すーっとタイガースファンであったかも知れないし、
本当はタイガースファンも好きだったのかも知れません。


トップページへ

第2話 −思い出のサンドイッチ−

俺が小学校の低学年の頃の話。
あの頃の物価は、今では全然想像も付かないなぁ。
なんせ、500円で1ヶ月を過ごせたのだから。
駄菓子屋で5円、10円なんて当たり前の時代だったから。
50円のアイスクリームなんて、贅沢品だったなぁ。
10円でカップに入ったアイスクリームが買えたんだよ。
大阪環状線が初乗り10円だった。だから、10円で環状線一回りなんて事も出来た。
そんな時代に俺が今でも忘れられない話をします。

今でこそパン屋もおしゃれになって、種類も豊富だし、トレイでパンを選んでなんてのは当たり前でしょ。
昔は種類も少なく、食パンか、菓子パン、そう、あんパン、ジャムパン、クリームパンくらいしかなかった。
それが、近所に現在のようなパン屋が出来た。フランスをイメージした店の作り。
フランスの国旗を思わせる袋に、横文字がおしゃれだった。
そりゃもう、当時は珍しい物好きの大阪人は飛びつきましたよ。流行っていましたねぇ。
俺なんか「フランスパン」を見てびっくりしたもの。「なんや、これ?パンかぁ?」ってね。
俺の家は貧乏だったから、いや、あの頃はみんな貧乏だったなぁ。中流家庭なんて言葉はなかった時代。
大人のこぶし大の「プチ・パリ」と言うフランスパンが1個10円だった。食べられるのはそればかり。
ちょっと贅沢をしても、30円のコッペパンみたいな形の「チーズパン」がたまに食べられたくらい。
ちっょと変わったパン、と言っても今では普通だけど、それが50円以上したかな。
そんな高級品は滅多に食べられません。
そんな中で、一番高かったのがサンドイッチだった。
オーダーメイドで注文があってから作っていたんですよ。
と言うことは、滅多に買う人が居なかったと言うことですよね。
いまでこそ、コンビニで気軽に買えますが、その当時で300円はしたと記憶してます。
10円のパンから比べると30倍ですよ。そりゃ、超高級品ですわ。
その当時、一度も口にしたことがなかったと思います。食べたいという願望はあっても、高嶺の花でした。

当時の給食と言うのは、あまり美味しくなかったように思います。
安かったのかタマネギが必ずメニューに入っていて、子供の頃タマネギが大嫌いだったので、苦痛でした。
定番は食パンが2枚と牛乳とマーガリン。このマーガリンが今と違って味も素っ気もない。
それに、パンは生のままで、マーガリンは冷蔵していたから固いまま。
そんなマーガリンをどうやってパンに塗るんや〜!と毎日思っていましたね。
たまに、イチゴジャムやマーマレードが出たときはみんな大はしゃぎでしたよ。
後ねぇ、缶詰のミカンとかフルーツがたまに出てくるときは、それが入っている器に牛乳を入れて食べるんです。
でも、缶詰の汁が酸性なので牛乳が分離してしまう。それでも、美味しいと食べていましたねぇ。
これを発案したのが俺で、また、すぐに真似をされて、いつの間にか流行になっていました。
そんな給食ですし、どちらかというとパンよりご飯が好きな俺は、あまり楽しい給食ではなかった。
今ではご飯が出ると聞いて、うらやましいと思いましたねぇ。内容も全然違っているようですし。
そりゃそうと、そうなると遠足が楽しみになるんですよ。お袋の作るお弁当になるから。
お袋に言わせると「給食の方がこっちは楽」でしたねぇ。
ま、たまの遠足だから良かったのかも知れませんが。
おふくろの弁当の定番は、おにぎりとゆで卵でした。おにぎりは片手で握った、そう、すしのシャリみたいな
一口大のおにぎりに、最初から海苔を巻かずに、別に味付け海苔をもたされて、食べるときに海苔を巻く、
今のコンビニおにぎりみたいな感じですね。
これが海苔だけを欲しがるヤツが出てきて、次からは余計に持たさせれましたよ。
後、ゆで卵はチューリップ型にしたものにごま塩をかけてありました。
ま、弁当箱のふたを開ける頃には、チューリップがつぶれて、他のおかずの色に染まっていたりしましたが。
おふくろのお手製の弁当を持っていた俺でしたが、同級生の弁当にうらやましいと思ったことがありました。
それが、先ほど紹介しましたパン屋のサンドイッチを必ず持ってきている同級生がひとり居たんです。
そりゃ、もう美味しそうに見えますよ。「隣のぼた餅は大きく見える」で、他人の物ってよく見えるんですよねぇ。
ましてや、「あこがれの高級サンドイッチ」でしょ。もう、欲しくてたまらなかったですねぇ。
貧乏ながら躾にはうるさかったので、「むやみに他人の物を欲しいと言うな」の教えがブレーキを掛けました。

ある時、そんな昔話を友達としていたときに、ふと、思ったんですよ。
「あぁ、何で俺はあんな事を思ったんやろ...本当は、彼の方がうらやましいと思っていたはずなのに...」
彼のお袋さんは当時水商売をしていて、母子家庭だった。
その頃は、そんなことは全然知らないし、母子家庭の意味もわからない。
みんながお袋さんの手作りの弁当なのに、自分はパン屋のサンドイッチ。
それも、前日にお袋さんが予約して、当日、学校に好く前に本人がパン屋に取りに行って持って行ってた。
その時、彼はいったいどんな思いで弁当を食べていたんだろう。
幼稚園に入る前から近所に住んでいたけど、一度も気にしなかったが、彼の苗字が1度変わった。
そんな意味ももちろん知るはずもないし、気にしてなかった。
中学に入ってからまた、苗字が変わった。
同級生に「なんで、お前の苗字は何度も変わるや?」とからかわれて、彼と彼のお袋さんは抱き合って泣いた。
そんな話を当時お袋から聞いたことも思い出したら、俺は思わず、「ごめんなぁ...」って、つぶやいてしまった。
なんか、妙にさみしくなって、涙を拭ったかなぁ...
時は流れて、そのパン屋は姿を消し、どうしても食べたかったサンドイッチも思い出の中に消えていった。
ただ、今でもサンドイッチを見ると、時々だけど、そのことを思い出す...


トップページへ


第3話 嗚呼懐かしの「東京コロッケ」

初詣に行った時のこと。
たくさんの露店を見ながら、ふと思い出したことがありました。
「そういえば、『東京コロッケ』って見なくなったなぁ...」
みなさんはご存じでしょうかねぇ。
「東京コロッケ」って露店が大昔はあったんですよ。
俺が生まれ育った大阪の天六には、「淀川天神」という小さな天神さんがあって、毎年、夏と秋には祭りがありました。
その時に夜店が出て、その中にあったんですよ。
どんなものかと説明しますと、1回¥50だったかなぁ?¥30だったかなぁ?
ま、とにかく¥50でパチンコをするんですよ。
パチンコ台のチューリップには数字が書いてありました。
数字はまちまちで、もちろんパチンコですから入りにくい所の方が数字が大きい。
で、そのチューリップに入ったらどうなるか。
そうですねぇ、「ビー玉」より少し大きいくらいのコロッケを串に刺してもらえるんですよ。
「ビー玉」自体を知らないと言う方も多いかなぁ。
で、チューリップに一つも入らなかったらどうなるか?
¥50は払っているわけですから、3つのコロッケはもらえるんです。
真ん中のチューリップに入って最高で8つもらった記憶がありますよ。
じいちゃんとばあちゃんが夫婦でやってたなぁ。
じいちゃんがひとつひとつコロッケを丸めて揚げる。
それをばあちゃんが串に刺していく。
それが待ち遠しくてねぇ。
「早く、早く」なんて、新婚の妻みたいに、あっ、いや、失礼しました。(^^;
「えーっ、そんなのもらっても嬉しくない」とおっしゃるかも知れませんが、俺の子供頃はそれでもうれしかった。
機会があればもう一度食べてみたい。
でも、もう二度と味わえないのかも知れませんねぇ。
体も大人になった分、味覚も大人になって「おいしい」って思わないのかも知れません。

「子供の頃の味」をすっかり忘れたんだけど、思い出はちゃんと忘れないんですよねぇ...


トップページへ